古田敦也の頭いい!昔の伝説と名言とは?なぜメガネで試合?理由は?

スポーツ監督

いよいよ3月8日からWBC2023・2023 WORLD BASEBALL CLASSIC™が開催され、盛り上がってきましたね!

そこで今回はWBC2023・2023 WORLD BASEBALL CLASSIC™で解説者をしている元・プロ野球選手の古田敦也さんについてのプロフィール!

古田敦也さんは頭がいい!昔(若い頃)の伝説と名言とは?

古田敦也さんはなぜメガネで試合に?その理由は?の真相に迫ってみました!

古田敦也 プロフィール


引用:日興フロッギー

名前:古田敦也(ふるた あつや)

生年月日:1965年8月6日

出生地:兵庫県川西市

身長:182㎝

体重:80㎏

ポジション:捕手

投球/打席:右投右打

経歴:兵庫県立川西明峰高等学校→立命館大学→トヨタ自動車→ヤクルトスワローズ(東京ヤクルトスワローズ)

兵庫県川西市生まれの古田敦也さんは兄と妹がいる3人きょうだいの真ん中で田んぼや畑も多い自然の豊かな町ですくすくとわんぱくに育ちます。

体も大きくて勉強もでき、走るのも速く運動会ではリレーのアンカーを務めるほどで、小学校3年生の時に少年野球チーム「加茂ブレーブス」に入団。野球を始めます。

「(当時)太っていたから」が理由でポジションが捕手になったんだとか!

今でこそキャッチャー=太っているイメージないと思いますが当時はキャッチャーは太っている(ガタイが良い)イメージありましたよね!


引用:スポニチアネックス


引用:Twitter

完全に漫画の影響ですね(笑)

兵庫県立川西明峰高等学校時代は野球部に所属するもほぼ無名だった古田敦也さんは、受験勉強の末、一般入試で関西大学商学部と立命館大学経営学部経営学科と2つの大学に合格します。

関西学生野球リーグでは関西大学のほうが強豪だったため、当初は関西大学に入学するつもりでしたが結局は立命館大学に進学し、硬式野球部に入部します!

【立命館大学】

引用:みんなの大学情報

立命館大学は、関東の難関私立大学グループとして有名なGMARCHと同様の関西の大学グループで、いわゆる関関同立と呼ばれる関西屈指の難関私立大学の一つです。要するに、頭いい大学という事です!

その中でも経営学部は偏差値も高く難易度が非常に高いと言えます!

ちなみに、関関同立のひとつは関西大学です。

高校3年の8月から勉強して一般試験で合格している古田敦也さんは、頭いい!それだけでかなり優秀であることが分かりますね!

立命館大学では、捕手としてその才能が開花されます。4年生の時にはキャプテンとしてチームを牽引!日米大学野球選手権大会日本代表に選出。プロ各球団からも注目されるようになり古田敦也さん自身もプロへの道を目指すようになります。

ところがドラフト会議では、事前に日本ハムのスカウトから上位指名の確約があったにもかかわらずまさかの指名なし!

その理由は「メガネをかけている」ので指名を取りやめたのだそうです・・・

当時は「メガネをかけている捕手は大成できない」と言われていたそうで、今では考えられないくらい理不尽な話ですよね・・

じゃあ、コンタクトレンズをすればいいのでは?とも思いますが、古田敦也さんがメガネで試合にでていた理由は後ほど紹介します!

プロ入りが叶わなかった古田敦也さんは、一般枠で新卒採用に応募し、トヨタ自動車から内定をもらいトヨタ自動車に入社。社会人野球でも活躍します!

「メガネをかけている」という理由でドラフト漏れしてしまった古田敦也さんはその悔しさをバネにして何としてもプロ入りして活躍してやると奮起します!

プロに行くためには「メガネをかけていても、同年代のやつより誰よりもうまいと証明しなければいけない」と誓い、努力を続けるのです。

そのためには「五輪メンバーに選ばれないといけない」と考え、(五輪代表の)監督やコーチが誰かを調べて、その人物の野球観を調べます。

そして、「元気があって、国際大会の環境の悪い中でもへこたれない、あきらめないやつが好きだ」という情報を得ると五輪選考会で元気で一生懸命さをアピール!見事五輪メンバーに選ばれ銀メダル獲得に貢献します。


引用:日刊スポーツ

さすが!!後に“ID野球の申し子”と言われるだけの戦略ですよね!やっぱり頭いい!

そして1989年のドラフト会議では、ヤクルトスワローズ(現:東京ヤクルトスワローズ)から2位指名を受け1990年にヤクルトスワローズ(現:東京ヤクルトスワローズ)に入団します。


引用:日刊スポーツ

ヤクルトスワローズ入団後の活躍は周知のとおり、”野村ID野球の申し子”として、チームを五度のリーグ優勝、四度の日本一に貢献!

個人成績でも、ベストナイン9回、ゴールデングラブ賞10回という圧倒的な結果を残し、プロ2年目の1991年には捕手ながらも首位打者を獲得。93年には現在も破られていない盗塁阻止率・644の金字塔を打ち立てたり、大学社会人を経ての初めての2000安打達成などの大記録を残しており、野球殿堂入りもしています!

記録以外の面だと、2004年に起こったプロ野球再編問題の時には、日本プロ野球選手会長として先頭に立って球団合併と1リーグ制を阻止したことでも有名ですね!

2007年の現役引退後は、日本プロ野球名球会理事長となり、野球解説者スポーツキャスター、タレントとして活躍しています。

そしてなんとYouTuber(ユーチューバー)としても!?YouTubeチャンネル「フルタの方程式」も人気です!

古田敦也の頭いい!昔の伝説と名言とは?

順風満帆のイメージだった古田敦也さんの野球人生にまさかの大学時代の挫折経験があったのはとても驚きでした!

そんな古田敦也さんは当時のヤクルトスワローズ監督・野村克也さんの提唱する、頭脳を駆使した緻密な計算を元とした「ID野球の申し子」と言われていて「頭いい!」という事でよく知られていますが、昔の伝説と名言などに迫ってみたいと思います。

頭がいい!というエピソードはプロフィールでもお話ししましたが、プロ野球選手にしては珍しく、一般入試での受験で難関大学に合格していたり、大学在学時に野球の傍ら経営博士号を取得しています。

そんな頭のいい古田敦也さんですが、野球の練習に合わせて行う緻密なデータ研究がすごいのです!

1992年と1993年の西武×ヤクルトの日本シリーズの時には相手チーム・西武のデータの分析に、西武のバッターのバッティングのビデオを100本以上も見ながら研究しつくしたのだそうです。

ビデオでの相手チームの研究を試合後のホテル内でしていたわけですからたいへんですよね!頭いいからできることなのかもですが、相手チームに勝ちたい!というその精神力も素晴らしいと思います。

そんな古田敦也さんには数々の名言がありますが、2009年に発売した自身の著書「優柔決断のすすめ」の中で「悩んでもいい、迷ってもいい、最後は腹をくくれ」と、たくさん迷うことは必要で大いに迷って最終的に決断し努力できる人こそ成功すると語っています。

瞬時に判断を求める捕手や監督を務めたからこその名言ですね!

あと、古田敦也さんといえば2006年にヤクルトスワローズ選手兼任監督をしていた時に自ら代打に出るときに球審に告げた言葉である

「代打・オレ」

が有名ですね!
広島カープとの試合で初めて身振りを交えながら球審に「俺が代打」と告げた瞬間、球場は沸き返りました。


引用:BASEBALLKING

Tシャツにもなりましたよね(笑)

引用:ラクマ

ただ、こちらは名言というよりかは、元ネタ・・・先にこの言葉を言っていた偉大な先輩がいらっしゃるのです!

初代「ミスタータイガース」日本のプロ野球の創生期を支えたスター・阪神タイガースの藤村富美男さんです。

引用:週刊ベースボール

打点王5回や生涯打率3割などの成績を達成し、プロ入り当初は投手としても活躍していたので元祖・二刀流ともいえる1940年~1950年代のスターなのです。

その藤村富美男さんが選手兼任監督時代の1956年6月の対広島カープ戦、0-1の9回2死満塁の場面で藤村選手兼任監督は球審に代打を告げます。

「ワシが代打や!」

そして、藤村選手兼任監督は見事に代打逆転サヨナラ満塁ホームランを放ち、チームを勝利に導くのです!

まぁ、「代打オレ」じゃなくて「代打ワシ」なんですけど、これが元祖と言われています。

記録として残っているプロ野球で「代打・オレ(ワシ)」を実行した選手兼任監督は藤村富美男さん、古田敦也さんの他は、古田さんの恩師でもある野村克也さんと谷繁元信さんです。

藤村富美男さん以外は全員”名捕手”と言われた方で、キャッチャーとしての指揮能力が、監督の采配も期待されての選手兼任監督就任だったのでしょうね!

古田敦也はなぜメガネで試合に出ていた?その理由とは?

大学時代に「メガネをかけている捕手は大成できない」と言われてドラフト指名漏れという屈辱を味わったことで反骨精神が芽生え、今となっては「あのままプロに入っても、良い選手にはなっていなかった」と語っている古田敦也さん。

とはいえ、「メガネをかけている」という理由だけで実力をちゃんとみてもらえないなんて悔しいですよね。

ついつい「コンタクトレンズにすれば良かったのでは」と思うのですが、なぜ古田敦也さんはコンタクトレンズにせずメガネで試合に出場していたのか?その理由について調べてみました。

やはり1980年代から90年代初頭にかけてのプロ野球には「メガネをかけている選手は大成しない」というジンクスは定着していました。

そのころ広島カープの正捕手だった達川光男さんもそのジンクスを恐れてコンタクトレンズを使用していました。

実際古田敦也さんも、周囲にコンタクトレンズをすすめられたそうです。
ただ、古田敦也さんの裸眼の視力は0.1で、そこに加えて乱視が強かったそうです。

当時は、乱視に対応の眼球に合うコンタクトレンズがなかったためやむを得ずメガネを装着していたそうで、コンタクトレンズを「しなかった」のではなく「できなかった」という事が分かりました。

でもメガネをかけるしかなかったなら、余計に悔しいですよね!でもその悔しさをバネに現在の古田敦也さんがありますし、「メガネをかけていても大成できる!」と古田敦也さん自身が身をもって証明してくれましたね!


引用:NumberWeb

古田選手のようになりたい!と憧れる子供達が増え、メガネにコンプレックスを持つスポーツ少年少女にも勇気を与えたのではないでしょうか!

古田敦也さん自身も、タイトルをいくつも獲得したことよりも「子どもたちやいろいろな人から古田さんがメガネ掛けているから頑張れましたと言われて、メガネでやってきてよかった」と語っています。

古田敦也についてのまとめ

今回はWBC2023・2023 WORLD BASEBALL CLASSIC™で解説者をしている元・プロ野球選手の古田敦也さんについてのプロフィール!古田敦也さんは頭がいい!昔(若い頃)の伝説と名言とは?古田敦也さんはなぜメガネで試合に?その理由は?の真相に迫ってみました!

 

 

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